一般的にニートは働きもせず収入も無いので、負け組と思われがちです。
ニートになってしまうのは人それぞれ理由が存在しますが、良くも悪くも現代の多様化した生き方の一つであると言えるでしょう。
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ニートについてはイメージが良いものではなく、世間一般で色々と言われていますが、この記事は「ニートって実は勝ち組?」について触れた内容となっています。
生きる上で一つの参考として捉えて頂けると幸いです。
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ニートは勝ち組?
ニート生活を送る事が出来るという意味で言えば、ある意味で勝ち組であると言えるかもしれません。
仕事をしなくても悠々自適な生活を送る事が出来ますし、ストレスのない生活を送る事も出来てしまいます。
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一方で朝から晩まで働いているにもかかわらず、低収入のサラリーマン・OLと比べれば、精神的にもゆとりのある生活を送る事が出来ている事でしょう。
「自分は朝から晩まで一生懸命働いているのに、ニートのような極つぶしは許せない!」
と、まじめに働いている人からしてみたら、ニートの存在というのは忌むべき存在であると言えるかもしれません。
ですが、それと同時に認めたくはないもののどこかで嫉妬しているところもあるかもしれません。
生活の為に好きでもない仕事をするという事は、精神的にも肉体的にも堪えるものです。
そういった経験をしていないニートは、社会にとって不要だと考える事も分からないでもありません。
ニートは生産性のない人
突き詰めていってしまえば、ニートは生産性が皆無であると言えます。
その点、たとえ低賃金で働いていたとしても、巡り巡って社会の役に立っているものですし、税金を納める事によって教育や交通機関などのインフラが整備されていると言えるでしょう。
一方でニートは生産性も無く価値を生み出す事もせず、一日の大半を寝て過ごしたり、自分の好きなことをして生活をしています。
その点で言えば、世の中に貢献している社会人の方たちは無くてはならない存在であると言えるでしょう。
ニートは消費活動しかしない一方で、多くの社会人の方々は生産的な生き方をしています。
その為、大きな枠組みで言ってしまえば、働いている人たちのおかげでニート出来ている人も居るので、ニートにとっても無くてはならない存在であるのかもしれません。
戦後の焼け野原の状態であれば働かなくては生きていく事すら難しい時代でした。
ですが今の時代は物質的に恵まれている世の中ですし、日本国民である以上は最低限の生活を保障されています。
そういった意味でニートが生きていく事が出来るのは、日本が豊かである象徴とも言えるでしょう。
勝ち組であるかどうかは自分で決めるもの
人生100年時代と言われている昨今ではありますが、学校を卒業し、成人した以上は自己責任となります。
仕事をしていてもしていなくても、それは自身が決めた事に他ならないので、他人を責める事は出来ません。
ニートである事自体に信念があり、そういった人生を送る事を目的としているのであればある意味でその人は勝ち組と言えるでしょう。
一方で労働こそが人生で尊いものだと思っているのであれば、それもまた価値のあるものだと思います。
最終的には自己責任
人生には運によって左右される事もありますが、自分の努力によって変えていく事が出来るものもあります。
良い会社に就職する為に勉強して良い大学に入ったり、仕事に役立てる為に勉強して資格を取得するなど、必ずしも良い結果をもたらすとは言い切れませんが、努力していく事は出来ます。
結果がどうであれ、自分の人生に責任を持つという事は、生きる上で人生の質を高めていく事となり得てくるものです。
人を羨んだり妬んだりせず、自分の人生を歩んでいく事が今世で課せられた課題であるとも言えるでしょう。
ニートでいる事に満足であれば構いませんが、将来の事を考えたて耐えられなくなったら、一歩踏み出す事もまた大事な事です。
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まとめ
ニートは勝ち組かと聞かれると、一般的には負け組と思われがちですが、その生き方に不満が無ければある意味で勝ち組なのかもしれません。
人の数だけ生き方がありますので、自分の人生に責任も持っていける生き方がより良い人生に繋がってくる事だと思います。